歩調

あるとき友人が言っていた。今までを振り返って、彼は全力疾走してきたと、、、
私は、、、、、と、ふと考えてみた。


私は立ち止まってばかりだった。


道に迷っては抜け道を探してみたり、地図がほしくて探してみたり、通りすがりの人に聞いてみたり。でも地図は当てにならないし、人は私の行きたい場所を知らなかった。私はただそこから周りを見渡すだけだった。

それからいつか気づいた。ここでは引き返すことはできない。でも、どこからでもどんな道からでも前に進むことはできる。目的地は自分で決めればどこでもいい。行き方も行くべき場所もここでは決まっていないのだ。

そんなことを思ったとき、その可能性の偉大さに、一瞬圧倒された気分になった。自分には地図もないのにどこへどうやって向かえばいいのか。
そしてしばらく考えていた。そのうちに、逆に解放された気分になった。私がここにいる限り、私はそう思っていいはずだった。私には地図があったらかえって邪魔なのかもしれない。ただその場所を目指して自分なりに進むしかないと思った。

その友人は全力疾走してきて少しスピードを落としたときに、私はちょうど走り出そうとしたときに、2人のペースがあったのだろう。しばらく一緒に歩いていくうちに、今まで全く違う道を、違う速度で歩んできたのに、いつのまにか勉強も遊びも一緒にできる人となっていた。

今2人の目的地への分岐点が来た。これからお互いまた別々の道を、違うペースで歩んだり、または走っていくのだろう。
いつかまたすれ違うときがくるかもしれない。そのときには私はどんな歩調で歩んでいるのだろうか。